死ぬほど働いてしまう癖・根性の叩き直し作戦開始。
とりあえずスウェーデン語の勉強してみようか。
ぐだーく びよーん
Category : 日常(雑記)
昨日、単独担任しはじめてちょうど一周年の日でした。
前例なしの、ほぼ学年主任と校長の独断連携プレー(?)による強行突破により決められたもので、
わずか三ヶ月足らずの超ド新人による単独担任デビューは、教頭先生なんかはあきれていて
なんかあっても責任は全部校長がとるんですよ、みたいな話もあったとかなんだとか。
この一年、信じられない失敗やミスの連発をし今もそれの真っ最中なんだけど、それでも色々な人が
支えてくれたからやってこれた。
学年団の先生方・学年主任・教頭・ほかの先生方。そして岩手組といわれている大学の仲間たち。
埼玉におきざりの親ももちろん。
とにかく死にかけるたびに助けてくれたし支えてくれた。
でも、何よりもの支えというのは生徒たちで。
命を削ってくれるのも生徒だけど、命を与えてくれるのも生徒。
まあ、ほとんど毎回がパルプンテみたいなものなんだけど(笑)
(全員HPがMAXになるのかと思いきや全員HP1/毒状態とか!)
私立だし、入学しても、もともと素地が学校という場になじめない子が多いということもあって、
パタパタとやめていく風景が割と普通でした。
「あ、うちって、だいたい1年で30人くらいやめますからねー」って5月のはじめに同僚にサラっと
いわれた衝撃は今でも忘れられない。
そして実際やっぱり30人くらいやめていった。私の学年も去年で20人はやめた。
「今年度の一年生はあんまりやめませんでしたねー、あははー」とか学年末に嫌みを言われた。
(※本来はやめさせるべき子を年度持ち越しして在籍させてしまったことは「迷惑ごと」)
最初に上司とふたりで受け持っていた必修クラスも、最初教室は満杯だったのに年度の最後はスカスカだった。
いなくなる子が出るたびに、そのクラスの座席票を作り替えるのが昨年度の私の仕事だった。
いなくなった子の名前を消して、前の方に詰めて座らせる。
不自然でないように、出席番号順をなるべく崩さないように。
でもおしゃべりが多くならないように組み合わせにも配慮して。視力とか背の高さも配慮して。
何度更新版を作っただろう。10回はやったと思う。
つくるたびに「これが最後であるように」と願った。でもまた1週間後に作り替えることになったりする。
やめる子が出るのは単純に悲しい。寂しい。
たまに、ここにいちゃだめになる! いってよし! とか思うときもあったりはしたけど、
基本的に仲間がいなくなるのはつらい。
でもまあ、やめちゃっても割と元気にやってる姿を見る機会も多くて
(地方都市の世間の狭さ/遊ぶところの少なさ/電車通勤etcのなせる技です)
やっと、「やめちゃってもまあそんなに悲しくないさ。とにかく元気に暮らしてればよし!」と
思えるようになってきていて、すこし精神を保つことに成功しつつありました。この間まで。
やめちゃっても、「元気に暮らしてれば、よし!」
これは、我が家の合い言葉でもあり。
何かあっても失敗しても仕事なくなっても、数学38点でも元気ならいいじゃん。
なんかおいしいもの食べて、元気でいるならそれでいいじゃんって。
だから今の自分の担任ポリシーも、「テスト0点でも他者を傷つけず、自分が元気なら許す!」だし。
(本来許す・許さないというものではなく卒業・履修認定に関わることなのでかなりすさまじい
やりとりを実際は年度末に本人・教科担当・教務主任・自分とでやることになるのですが、それはさておく)
でも、この合い言葉が破られたら?
元気じゃなかったら?
・・・・・・・・・死んでしまったら?
私は、今、この事態をどう受け止めればいいのかわからない。
必修クラスからはじまり、単独担任スタート時からも付き合ってくれた彼女。
ほかの生徒との折り合いや、保護者との連絡のしやすさということもあって年度途中で違う先生に
お願いしてしまって最後まで担当でいることはできなかったけど。
ものすごくやりとりの多い子だった。わがままで。甘えん坊で。よくごねた。困らせてくれた。
夏休みの作文の宿題やってこなくて、居残りして書かせた。
箇条書きでいいかげんなものをよこして逃げるように帰っていった。
「ハコは夏休みどうだった?
彼氏とどっか行かなかったのか?
もうちょっと明るいカッコして、メイクして、がんばれよ、っつーのw」なんてメッセージつきで。
よく見る名前。担当生徒だから。よく見る名前。よく問題起こすから。よく見る名前。よく呼び出しされるから。
でも、たまたま買った新聞に、お悔やみ欄に、その名前を、見るとか、 ありえない
葬儀も行ったけど、まだ、消化できずにいます。
なんで初めて受けもった子に、死なれなきゃいけないの。
担任歴一周年まであと一週間、ちっちゃくお祝いだ! の一週間は、地獄の一週間でした。
そして今、どうにもならないひどい土曜日の昼を過ごしています。
仕事しなきゃいけないんだけどな、職場行かなきゃいけないのにな。
死んだ子より生きてる子ってね。それが現実。
てめえの悲しみを中心に、世界はまわってないからね。
Yes, my great professor. I know this ! I know !
前例なしの、ほぼ学年主任と校長の独断連携プレー(?)による強行突破により決められたもので、
わずか三ヶ月足らずの超ド新人による単独担任デビューは、教頭先生なんかはあきれていて
なんかあっても責任は全部校長がとるんですよ、みたいな話もあったとかなんだとか。
この一年、信じられない失敗やミスの連発をし今もそれの真っ最中なんだけど、それでも色々な人が
支えてくれたからやってこれた。
学年団の先生方・学年主任・教頭・ほかの先生方。そして岩手組といわれている大学の仲間たち。
埼玉におきざりの親ももちろん。
とにかく死にかけるたびに助けてくれたし支えてくれた。
でも、何よりもの支えというのは生徒たちで。
命を削ってくれるのも生徒だけど、命を与えてくれるのも生徒。
まあ、ほとんど毎回がパルプンテみたいなものなんだけど(笑)
(全員HPがMAXになるのかと思いきや全員HP1/毒状態とか!)
私立だし、入学しても、もともと素地が学校という場になじめない子が多いということもあって、
パタパタとやめていく風景が割と普通でした。
「あ、うちって、だいたい1年で30人くらいやめますからねー」って5月のはじめに同僚にサラっと
いわれた衝撃は今でも忘れられない。
そして実際やっぱり30人くらいやめていった。私の学年も去年で20人はやめた。
「今年度の一年生はあんまりやめませんでしたねー、あははー」とか学年末に嫌みを言われた。
(※本来はやめさせるべき子を年度持ち越しして在籍させてしまったことは「迷惑ごと」)
最初に上司とふたりで受け持っていた必修クラスも、最初教室は満杯だったのに年度の最後はスカスカだった。
いなくなる子が出るたびに、そのクラスの座席票を作り替えるのが昨年度の私の仕事だった。
いなくなった子の名前を消して、前の方に詰めて座らせる。
不自然でないように、出席番号順をなるべく崩さないように。
でもおしゃべりが多くならないように組み合わせにも配慮して。視力とか背の高さも配慮して。
何度更新版を作っただろう。10回はやったと思う。
つくるたびに「これが最後であるように」と願った。でもまた1週間後に作り替えることになったりする。
やめる子が出るのは単純に悲しい。寂しい。
たまに、ここにいちゃだめになる! いってよし! とか思うときもあったりはしたけど、
基本的に仲間がいなくなるのはつらい。
でもまあ、やめちゃっても割と元気にやってる姿を見る機会も多くて
(地方都市の世間の狭さ/遊ぶところの少なさ/電車通勤etcのなせる技です)
やっと、「やめちゃってもまあそんなに悲しくないさ。とにかく元気に暮らしてればよし!」と
思えるようになってきていて、すこし精神を保つことに成功しつつありました。この間まで。
やめちゃっても、「元気に暮らしてれば、よし!」
これは、我が家の合い言葉でもあり。
何かあっても失敗しても仕事なくなっても、数学38点でも元気ならいいじゃん。
なんかおいしいもの食べて、元気でいるならそれでいいじゃんって。
だから今の自分の担任ポリシーも、「テスト0点でも他者を傷つけず、自分が元気なら許す!」だし。
(本来許す・許さないというものではなく卒業・履修認定に関わることなのでかなりすさまじい
やりとりを実際は年度末に本人・教科担当・教務主任・自分とでやることになるのですが、それはさておく)
でも、この合い言葉が破られたら?
元気じゃなかったら?
・・・・・・・・・死んでしまったら?
私は、今、この事態をどう受け止めればいいのかわからない。
必修クラスからはじまり、単独担任スタート時からも付き合ってくれた彼女。
ほかの生徒との折り合いや、保護者との連絡のしやすさということもあって年度途中で違う先生に
お願いしてしまって最後まで担当でいることはできなかったけど。
ものすごくやりとりの多い子だった。わがままで。甘えん坊で。よくごねた。困らせてくれた。
夏休みの作文の宿題やってこなくて、居残りして書かせた。
箇条書きでいいかげんなものをよこして逃げるように帰っていった。
「ハコは夏休みどうだった?
彼氏とどっか行かなかったのか?
もうちょっと明るいカッコして、メイクして、がんばれよ、っつーのw」なんてメッセージつきで。
よく見る名前。担当生徒だから。よく見る名前。よく問題起こすから。よく見る名前。よく呼び出しされるから。
でも、たまたま買った新聞に、お悔やみ欄に、その名前を、見るとか、 ありえない
葬儀も行ったけど、まだ、消化できずにいます。
なんで初めて受けもった子に、死なれなきゃいけないの。
担任歴一周年まであと一週間、ちっちゃくお祝いだ! の一週間は、地獄の一週間でした。
そして今、どうにもならないひどい土曜日の昼を過ごしています。
仕事しなきゃいけないんだけどな、職場行かなきゃいけないのにな。
死んだ子より生きてる子ってね。それが現実。
てめえの悲しみを中心に、世界はまわってないからね。
Yes, my great professor. I know this ! I know !
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