死ぬほど働いてしまう癖・根性の叩き直し作戦開始。
とりあえずスウェーデン語の勉強してみようか。
ぐだーく びよーん
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ようやっと無理をせず声を出して笑えるようになったかな、という今日このごろ。
ほんっと疲れてるな自分。
人生初めて落語を観に行きました。
古典落語ではなく、何故かアンデルセン落語。
おもしろかったです。声出して笑える。
ただし、はやってない感じでした。「来年も続く。。。。んだろうか!?」みたいな(苦笑)
日曜日朝にスウェーデン語講座があるから週末は東京に、平日は紫波にいるかんじのAprilなり。
といっておきながら自分含めて2人しか受講希望者いないから開講延期になってしまったよーんという昨日。
で、aprilはエイプリルではなくて、スウェーデン語ではアプリルと読むんだそうで。くるぐるりん。
アンデルセンも現地読み(デンマーク語)ではアナセン。
むはーん。
ところでデンマーク語は無事開講されたようなんですが、事務所筋によると100km自転車こいでデンマーク語を
受けに来た方がいるそうです。すごい。夜行バス500kmスウェーデン語の自分が阿呆らしい。
とりあえず友達になりたいと思いました。格好良すぎる。
さて、新しい自転車にいいかげん名前をつけたいなあと思ってて結局1ヶ月無名だ。
どうしようかな。
水分の藤原輪店で買ったんだから、「藤原・水分号」でいいんじゃない、というひどいセンスの今。
あまりに「っぽい」自転車で、藤原輪店のお兄さんはお店にステッカーを貼るのを嫌がりましたね(苦笑)
「こんなかっこいい自転車にこんな「水分」ってある黄色いシールやめましょうよ!」って。
いいんだよ。水分に誇りを持ちましょうよ。いいじゃないか。水分。好きだよ水分。
あ、買った自転車はGIANTのGlideRです。
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すごい爆弾低気圧。
ものすごい暴風雪です紫波。
倒木やら何やらもうけっこうな被害が出てるみたいで。
とにかくけが人・被害が出ないことを祈るしかない感じ。
おひさです。
死んでました。
死にかけました。
今もけっこう境界線にいる感じです。
ピーク過ぎたけどまだ予断許さないよねって感じ。
過労もここまでいくとだめなんだね、と反省。
電話かけてくれて、「僕は何があってもあなたの味方です」といってくれた友人に感謝。
命の恩人はたくさんいるけど、ほんとうに恩人だった。危なかった。
いろいろ書くととんでもないことになるのでここには書きませんが、
人生ここまでバカにされるものなのか、という扱いを受けて無職になりました4月1日から。
ぶっちゃけ疲れきってしまって、学校の先生とか教育関係には就きたくないのが本音。
子どもとか生徒が大切過ぎて、仕事として割り切る能力が低いため、生業としてはだめだなってかんじ。今は。
ただ、今まで学校の先生か教育関係にしか対応できない勉強・トレーニングしか受けてこなかったため
全然仕事できず、とれず、こりゃあ修行しなおしだー、という結論に。
東京/海外で修行する予定。あくまで東京は修行する場であって暮らす場ではなく。
生きていく・暮らしていくのは紫波ですな。うん。やっぱこの間東京行って「むりだわー」と思った。
30歳までに紫波に戻るのが目標。
あと、気合いと根性と努力と笑顔で何かを乗り越えようとする根性を叩き直すのも目標。
「がんばりすぎ病」で本当に死にかけてる。自分。こりゃあだめでしょ(笑)
あと、自分に対して愛がなさ過ぎてだめ。ほとんどマシンだと思ってる節がある。
これも治す。
他者に対して怒りの感情を持てなくなったのも治す。許して諦めてしまう病気。
しかもそのかわり怒りや負の感情が全部自分に向かって自虐・自傷に走らせるという作用付き。
やっぱ「ふざけんな!」「ゆるせーん!」とか言えなきゃだめだよね。
ま、そんな訳で4月いっぱいは引っ越し作業でわやわやしておりますヨ。
5月には東京を拠点に活動開始。といっても失業保険もらってぷらぷらしてると思うけど。
結論が出るのは6月。うまくいったら8月中旬にはスウェーデンへ(いや絶対むりだまじでむりだ)
っつーかまじでこのめのまえのもの燃やしたい。
引っ越し作業ちょうめんどうくさい。
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昨日、単独担任しはじめてちょうど一周年の日でした。
前例なしの、ほぼ学年主任と校長の独断連携プレー(?)による強行突破により決められたもので、
わずか三ヶ月足らずの超ド新人による単独担任デビューは、教頭先生なんかはあきれていて
なんかあっても責任は全部校長がとるんですよ、みたいな話もあったとかなんだとか。
この一年、信じられない失敗やミスの連発をし今もそれの真っ最中なんだけど、それでも色々な人が
支えてくれたからやってこれた。
学年団の先生方・学年主任・教頭・ほかの先生方。そして岩手組といわれている大学の仲間たち。
埼玉におきざりの親ももちろん。
とにかく死にかけるたびに助けてくれたし支えてくれた。
でも、何よりもの支えというのは生徒たちで。
命を削ってくれるのも生徒だけど、命を与えてくれるのも生徒。
まあ、ほとんど毎回がパルプンテみたいなものなんだけど(笑)
(全員HPがMAXになるのかと思いきや全員HP1/毒状態とか!)
私立だし、入学しても、もともと素地が学校という場になじめない子が多いということもあって、
パタパタとやめていく風景が割と普通でした。
「あ、うちって、だいたい1年で30人くらいやめますからねー」って5月のはじめに同僚にサラっと
いわれた衝撃は今でも忘れられない。
そして実際やっぱり30人くらいやめていった。私の学年も去年で20人はやめた。
「今年度の一年生はあんまりやめませんでしたねー、あははー」とか学年末に嫌みを言われた。
(※本来はやめさせるべき子を年度持ち越しして在籍させてしまったことは「迷惑ごと」)
最初に上司とふたりで受け持っていた必修クラスも、最初教室は満杯だったのに年度の最後はスカスカだった。
いなくなる子が出るたびに、そのクラスの座席票を作り替えるのが昨年度の私の仕事だった。
いなくなった子の名前を消して、前の方に詰めて座らせる。
不自然でないように、出席番号順をなるべく崩さないように。
でもおしゃべりが多くならないように組み合わせにも配慮して。視力とか背の高さも配慮して。
何度更新版を作っただろう。10回はやったと思う。
つくるたびに「これが最後であるように」と願った。でもまた1週間後に作り替えることになったりする。
やめる子が出るのは単純に悲しい。寂しい。
たまに、ここにいちゃだめになる! いってよし! とか思うときもあったりはしたけど、
基本的に仲間がいなくなるのはつらい。
でもまあ、やめちゃっても割と元気にやってる姿を見る機会も多くて
(地方都市の世間の狭さ/遊ぶところの少なさ/電車通勤etcのなせる技です)
やっと、「やめちゃってもまあそんなに悲しくないさ。とにかく元気に暮らしてればよし!」と
思えるようになってきていて、すこし精神を保つことに成功しつつありました。この間まで。
やめちゃっても、「元気に暮らしてれば、よし!」
これは、我が家の合い言葉でもあり。
何かあっても失敗しても仕事なくなっても、数学38点でも元気ならいいじゃん。
なんかおいしいもの食べて、元気でいるならそれでいいじゃんって。
だから今の自分の担任ポリシーも、「テスト0点でも他者を傷つけず、自分が元気なら許す!」だし。
(本来許す・許さないというものではなく卒業・履修認定に関わることなのでかなりすさまじい
やりとりを実際は年度末に本人・教科担当・教務主任・自分とでやることになるのですが、それはさておく)
でも、この合い言葉が破られたら?
元気じゃなかったら?
・・・・・・・・・死んでしまったら?
私は、今、この事態をどう受け止めればいいのかわからない。
必修クラスからはじまり、単独担任スタート時からも付き合ってくれた彼女。
ほかの生徒との折り合いや、保護者との連絡のしやすさということもあって年度途中で違う先生に
お願いしてしまって最後まで担当でいることはできなかったけど。
ものすごくやりとりの多い子だった。わがままで。甘えん坊で。よくごねた。困らせてくれた。
夏休みの作文の宿題やってこなくて、居残りして書かせた。
箇条書きでいいかげんなものをよこして逃げるように帰っていった。
「ハコは夏休みどうだった?
彼氏とどっか行かなかったのか?
もうちょっと明るいカッコして、メイクして、がんばれよ、っつーのw」なんてメッセージつきで。
よく見る名前。担当生徒だから。よく見る名前。よく問題起こすから。よく見る名前。よく呼び出しされるから。
でも、たまたま買った新聞に、お悔やみ欄に、その名前を、見るとか、 ありえない
葬儀も行ったけど、まだ、消化できずにいます。
なんで初めて受けもった子に、死なれなきゃいけないの。
担任歴一周年まであと一週間、ちっちゃくお祝いだ! の一週間は、地獄の一週間でした。
そして今、どうにもならないひどい土曜日の昼を過ごしています。
仕事しなきゃいけないんだけどな、職場行かなきゃいけないのにな。
死んだ子より生きてる子ってね。それが現実。
てめえの悲しみを中心に、世界はまわってないからね。
Yes, my great professor. I know this ! I know !
前例なしの、ほぼ学年主任と校長の独断連携プレー(?)による強行突破により決められたもので、
わずか三ヶ月足らずの超ド新人による単独担任デビューは、教頭先生なんかはあきれていて
なんかあっても責任は全部校長がとるんですよ、みたいな話もあったとかなんだとか。
この一年、信じられない失敗やミスの連発をし今もそれの真っ最中なんだけど、それでも色々な人が
支えてくれたからやってこれた。
学年団の先生方・学年主任・教頭・ほかの先生方。そして岩手組といわれている大学の仲間たち。
埼玉におきざりの親ももちろん。
とにかく死にかけるたびに助けてくれたし支えてくれた。
でも、何よりもの支えというのは生徒たちで。
命を削ってくれるのも生徒だけど、命を与えてくれるのも生徒。
まあ、ほとんど毎回がパルプンテみたいなものなんだけど(笑)
(全員HPがMAXになるのかと思いきや全員HP1/毒状態とか!)
私立だし、入学しても、もともと素地が学校という場になじめない子が多いということもあって、
パタパタとやめていく風景が割と普通でした。
「あ、うちって、だいたい1年で30人くらいやめますからねー」って5月のはじめに同僚にサラっと
いわれた衝撃は今でも忘れられない。
そして実際やっぱり30人くらいやめていった。私の学年も去年で20人はやめた。
「今年度の一年生はあんまりやめませんでしたねー、あははー」とか学年末に嫌みを言われた。
(※本来はやめさせるべき子を年度持ち越しして在籍させてしまったことは「迷惑ごと」)
最初に上司とふたりで受け持っていた必修クラスも、最初教室は満杯だったのに年度の最後はスカスカだった。
いなくなる子が出るたびに、そのクラスの座席票を作り替えるのが昨年度の私の仕事だった。
いなくなった子の名前を消して、前の方に詰めて座らせる。
不自然でないように、出席番号順をなるべく崩さないように。
でもおしゃべりが多くならないように組み合わせにも配慮して。視力とか背の高さも配慮して。
何度更新版を作っただろう。10回はやったと思う。
つくるたびに「これが最後であるように」と願った。でもまた1週間後に作り替えることになったりする。
やめる子が出るのは単純に悲しい。寂しい。
たまに、ここにいちゃだめになる! いってよし! とか思うときもあったりはしたけど、
基本的に仲間がいなくなるのはつらい。
でもまあ、やめちゃっても割と元気にやってる姿を見る機会も多くて
(地方都市の世間の狭さ/遊ぶところの少なさ/電車通勤etcのなせる技です)
やっと、「やめちゃってもまあそんなに悲しくないさ。とにかく元気に暮らしてればよし!」と
思えるようになってきていて、すこし精神を保つことに成功しつつありました。この間まで。
やめちゃっても、「元気に暮らしてれば、よし!」
これは、我が家の合い言葉でもあり。
何かあっても失敗しても仕事なくなっても、数学38点でも元気ならいいじゃん。
なんかおいしいもの食べて、元気でいるならそれでいいじゃんって。
だから今の自分の担任ポリシーも、「テスト0点でも他者を傷つけず、自分が元気なら許す!」だし。
(本来許す・許さないというものではなく卒業・履修認定に関わることなのでかなりすさまじい
やりとりを実際は年度末に本人・教科担当・教務主任・自分とでやることになるのですが、それはさておく)
でも、この合い言葉が破られたら?
元気じゃなかったら?
・・・・・・・・・死んでしまったら?
私は、今、この事態をどう受け止めればいいのかわからない。
必修クラスからはじまり、単独担任スタート時からも付き合ってくれた彼女。
ほかの生徒との折り合いや、保護者との連絡のしやすさということもあって年度途中で違う先生に
お願いしてしまって最後まで担当でいることはできなかったけど。
ものすごくやりとりの多い子だった。わがままで。甘えん坊で。よくごねた。困らせてくれた。
夏休みの作文の宿題やってこなくて、居残りして書かせた。
箇条書きでいいかげんなものをよこして逃げるように帰っていった。
「ハコは夏休みどうだった?
彼氏とどっか行かなかったのか?
もうちょっと明るいカッコして、メイクして、がんばれよ、っつーのw」なんてメッセージつきで。
よく見る名前。担当生徒だから。よく見る名前。よく問題起こすから。よく見る名前。よく呼び出しされるから。
でも、たまたま買った新聞に、お悔やみ欄に、その名前を、見るとか、 ありえない
葬儀も行ったけど、まだ、消化できずにいます。
なんで初めて受けもった子に、死なれなきゃいけないの。
担任歴一周年まであと一週間、ちっちゃくお祝いだ! の一週間は、地獄の一週間でした。
そして今、どうにもならないひどい土曜日の昼を過ごしています。
仕事しなきゃいけないんだけどな、職場行かなきゃいけないのにな。
死んだ子より生きてる子ってね。それが現実。
てめえの悲しみを中心に、世界はまわってないからね。
Yes, my great professor. I know this ! I know !
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無事です 元気です ちゃんと飯食ってます@紫波町
こまめに携帯のメールに返信する余裕がありません
みんなありがとう 愛してる!
だから、生きるぜ!
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みんなありがとう 愛してる!
だから、生きるぜ!
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先日の土曜日に産直に行って、あ、去年売ってた野菜が並んでる! と思いました。
妙にでっかいズッキーニとか、たくさんはいったピーマンの袋とか。
あーそうだ、去年の今頃は、自分は教員採用試験を受けに、間伐体験とは別枠で3日間くらい
このへんをぶらぶらして買い物していたのだなあ、とふと思い出しました。
去年の自分と、出会う感覚。
デジャヴのような、でもちょっと違うかんじ。
リアルな今の自分との二重写しで、ここにいる今の自分はリロードされるような。
あのときは、梅雨明けしてなくて、ちょっと寒かった。スーツの上着を来ていても平気なくらい。
なのに他の受験生は誰も上着なんか来てなくて、しきりに「暑い」「暑い」と言ってたのが印象的でした。
岩手の人は暑がりなのだろうか、と思いながら超絶的に難しい試験に撃沈して、
こりゃこっちでは一生(教師は)無理だな、埼玉ならどうにか受かりそうだけど、などとぼんやり考えていました。
そして試験が終わって、その次の週にある間伐体験が、雨になったらどうしようかー、と
こちらの現地の人と打ち合わせをして、まあどうにかなるべ、するべ、とか言っていました。
試験の旅から帰るときに、
「一週間後に、また会おう★」と合わせた拳、あのときは「迎える側」と「迎えられる側」だった。
そして今年、「あと一週間だ、ガンバ!」と合わせた拳は「迎える側」と「迎える側」。
しかも今の自分は(ここでは)一生やれないと思ってた仕事を、してる。
うわあ、すごい! これ、本当にすごい! 信じられない!!
そう思ったら、なんだかどわーーーーっと、精神的に復旧しました。
浮上、完了。光が、見えた。
戻れた。
なんとか、ギリギリで、戻れた。復旧できた。
いや、この時期が来たから、戻れたのかな。いや、戻してくれた人がいるかな。
まあ、何にせよ、来ますよ、来ましたよ。あの魔法のような四日間が、もうすぐ、目の前に。
わくわく、して、きた!!!
さあ、「待ってる」よ! そこの、みなさん!!!!!